始まりから歪んでいた結婚│毒親という夫婦①

過去編│両親という毒親

あなたのご両親は仲がいいですか?
夫婦として信頼関係があるように見えますか?

毒親育ちの人の中には、両親の関係がすでに破綻していたり、
どちらか一方に経済的・体力的・精神的な負担が極端にかかっていたというケースが少なくありません。

夫婦の信頼関係がなければ、どちらか一方、あるいは両方が毒親化し、
その影響を一身に受けた子どもが「毒親出身者」として心に深い傷を負う――
これはよくある構図です。

私の両親もまさにその典型でした。

そしてその二人の間に生まれ育った私は、母と絶縁して数年が経った今も、
時折押し寄せる悲しみや怒り、言葉にできない感情に向き合いながら葛藤し続けています。

今回から数回にわたり、「毒親という夫婦」としての私の両親のことを時系列に沿って書いていきたいと思います。

第1回目である今回は、両親の出会いから結婚までの話です。

お見合いでの出会いと早まった結婚

昭和の終わりごろ。
当時アラサーだった母は、周囲から「そろそろ結婚は?」と言われる時期に差しかかっており、本人もそれを意識していました。
ただ、母には「普通の男の人はイヤ。変わった人がいい」という漠然とした願望がありました。

そんな中、お見合いで出会ったのが私の父です。

父は大学進学を機に上京し、東京在住の間に格闘家として活動していた時期があり、またタレントとして映画やドラマに出演していたこともあります。
体格も大きく、顔も強面。地方出身者の中では、かなり“異質”な存在だったそうです。

母自身も東京で学生生活を送った経験があり、田舎の価値観にはやや距離があったため、そんな父に「変わってる人=並以上の人」と感じたのでしょう。

さらに、父が次男であり「同居の必要はない」と言われたことも決め手となり、二人はお互いのことを深く知らないまま結婚を決めました。

興信所による“身元調査”

父の実家は田舎の地主の家系で、特に父の母(私の祖母)が子供の頃は大きな家に家族以外に使用人が何人か住み込みで働いていて、使用人部屋の他に大きな敷地内には専用の離れまであるような昔の田舎ならではの裕福な家だったらしく、父はそんな家の本家の次男でした。

祖母は自分の幼少期の経験が強い見栄や家柄へのこだわりに結びついていたようで、子どもの目から見ても自分たちの家のことを「時代劇に出てくる華族のような家」と思い込んでいる節がありました。

そんな祖母は、父の結婚相手である母のことを「どこの馬の骨かもわからない」と言って受け入れず、
なんと興信所を使って母自身やその家族・親族までを調査したのです。

このことを後に知った母は強く不信感を抱きましたが、父や祖母は「当たり前」という態度。
謝罪もなければ、悪びれる様子もなかったそうです。

婚姻届の“勝手な提出”

結婚に際して少しずつ違和感を覚え始めていた母は、
興信所の件もあり「しばらく様子を見てから籍を入れたい」と、婚姻届の提出を保留にしていました。

ところが、挙式を終えたその日のうちに、父の両親(祖父母)は母に黙って勝手に婚姻届を提出してしまったのです。

母は後にこう語りました。
「あの時、私が逃げられないようにするためだったんだと思う」

現代の感覚からすれば、結婚式を挙げたとしても、婚姻届を出すかどうかは本人たちの自由。
それを一方の家族が勝手に提出するなど、時代錯誤であると同時に、重大な人権侵害にも思えます。

 “愛も信頼もない結婚”が始まりだった

これらの出来事を振り返って思うのは、両親の間には結婚当初から信頼関係など存在しなかった、ということです。

本来、夫婦とは互いに尊重し、協力し、信頼関係を築きながら一緒に生きていくもの。
でも、私の両親の間には「尊重」も「協力」も「信頼」もありませんでした。
その後ももちろんお互いに信頼関係を築く努力もしませんでした。

そして、これこそが「毒親という家庭」の始まりでもあったのです。

次回予告

次回は、
「母の妊娠とともに始まった暴力│毒親という夫婦②」
をお届けします。

次回もお付き合いいただけますと嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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