「うちはよその家とはちがう」│子どもが安心して帰って来られない家

過去編│両親という毒親

あなたの家は「普通」でしたか?

「私の家族は普通じゃない。」

「家にいるのに心が休まらない。」

「家族と一緒にいるとしんどい。」

こんなふうに、もしくはこれにちかい感覚を持ったことはありませんか?

そしてそんなふうに感じてしまうことに罪悪感を覚えていませんか?

そう感じてしまうのは、あなただけの問題ではなく、

家庭環境そのものに原因があるのかもしれません。

家が「安心できる場所」でなかったことに罪悪感を抱く必要はありません。

家族が何を言ったとしても、あなたの心を苦しめる存在であるならば、それも立派な正当防衛です。

幼い頃は受け入れるしかなかった

かつての私もまさにそうでした。

うんと小さな子どもの頃は無意識に受け入れてきたけれど、いつのころからか周りを見ると他の家と自分の家は明らかに違うことに少しずつ気がついて、成長するにつれ違和感が大きくなり、将来的には「生きづらさ」につながっていきました。

だけど、それは安心して帰るはずの“家”が、私にとってそうじゃなかったから。

家がしんどい│家の中はいつも「針のむしろ」

不仲の両親が喧嘩を始めると、母親のきつい売り言葉に買い言葉、それにより飛び交う父親の怒鳴り声と暴力、これらが深夜まで繰り返されていました。

また、二人の毒親とその他の大人からの姉妹間の明らかな差別により刷り込まれた劣等感。

「私はどうしてこんなにも劣った子どもなのだろう。」

「こんなに苦しいのは私だけ?これは被害妄想なの?」

「お母さんは私がいないほうが幸せだったのかもしれない。」

いつもこんなことを思っていて、今にして思えば幼い心はいつも傷だらけでした。

幼い子どもにとっての家とは自分を包んでくれる安心して帰ってこられる場所のはずです。

けれど、あの頃の私にとっての家は「心休まる場所」ではなく、むしろ正反対の場所でした。

次回:「毒親である父と母」について

どうして子どもが安心して帰ってこられない家になったのか、

そんな家庭を形作っていたのは、私の父と母でした。

次回からは、それぞれがどんな人間で、どんな関わり方をしていたのかを少しずつ書いてみようと思います。

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